遺り言

あなたに、遺りごとを綴ります。

失った原点

私にとっての原点は、

21年前の1月17日だった。

 

どんなに大変な時でも、

あの日を思い出し、

大人になることも叶わなかった たくさんの友達を思い、

その家族を思い、

絶対に生き抜かなくちゃと思った。

 

生かされた私達は、

絶対に生きて、生きて、この町で頑張るんだと。

 

 

ハサミを手に取り、

震えながら離したあの未熟な時間も、

1.17の地獄を思い乗り越えてきた。

 

下敷きになり重い障害を抱えながらも前を向いている友を

TVで見た時、彼女に負けないように生きようと思った。

 

5cm程の差で、生き残る者と逝ってしまう者、

横で寝ていたお母さんを亡くした友は、

あの日、バラバラになった家の前で座り込んでいた。

その彼女も、その後間もなく母になり笑顔を見せてくれた。

なんて強いんだろうと思った。

 

 

 

 

剥がれたマンション5階の壁からは、下の道路が見えていた。

今にも崩れそうな階段を、震えながら、家族で手を繋いで降りた。

部屋の中で、倒れていないものは、古い重い和箪笥だけだった。

横揺れだったら、両親はきっとダメだった。

 

地球が沈んだと思った。(浮いてるのにね。)

燃え盛る炎の音や轟音を思い出したのは大分経ってからだった。

直後は静寂で、戦争が起きたのかと思ったっけ。

亡くなっている人もまだ眠っているみたいで、

寝巻きのまま毛布にくるまった住人達で、

燃え盛る住み慣れた町をぼんやり眺めていた。

 

家も、父の仕事も、町も、学校も、友も、後輩も、失った。

逝ってしまった友の大半は、圧死だった。

 

 

あの日を絶対に忘れない。

 

 

恵んでもらった食パン1枚を4人で分けて食べた1日目。

生きるか死ぬかで、食欲なんてなかった。

 

水が出るのも、温かいお湯が出るのも、

屋根がある場所で眠れることも、

全て当たり前ではなくて、

 

何かが起きる度に、壁にぶち当たる度に、

原点に返っては反省し、生きて来た。

 

あれから幾度となく繰り返される悲劇を、忘れない。

同じ思いを経験している人達がいっぱいいる。

 

 

けどもう、

1幕を失った私にとっては、

あの日が原点とは言えなくなってしまったみたい。

 

次のそれがどこかも分からない。

 

私の糧だったのに。

 

 

 

お母さん、経験談は時に鬱陶しがられたりもするけど、

私達の中ではいつでも色褪せることなく、

話は尽きなかったよね、

あの日を、一緒に生き抜いた。

ううん、私は、あなた達に守られていたから

あの地獄でも生きてこられたんだよ。